2019-06-10 第198回国会 参議院 決算委員会 第10号
人生百年時代を迎え、病を持っていても社会参加し、人生を全うすることが大切であり、言わば有病息災で生きていかなければなりません。認知症の問題は、誰もが関わるリスクがあり、避けて通れない国家の課題として捉える必要があります。 二〇一五年、平成二十七年に認知症施策推進総合戦略、新オレンジプランが策定され、以来、認知症における地域包括ケアシステムなども進捗しつつあり、高く評価をしています。
人生百年時代を迎え、病を持っていても社会参加し、人生を全うすることが大切であり、言わば有病息災で生きていかなければなりません。認知症の問題は、誰もが関わるリスクがあり、避けて通れない国家の課題として捉える必要があります。 二〇一五年、平成二十七年に認知症施策推進総合戦略、新オレンジプランが策定され、以来、認知症における地域包括ケアシステムなども進捗しつつあり、高く評価をしています。
昔、一病息災といいましたが、最近では多病息災と申します。いろいろ御病気があっても、例えば、がんも治られますし、心臓の心筋梗塞でも早期介入できちんとその後もお元気ですし、今の時代の医療モデルは多病息災、そして人生モデルも多病息災なんだ、これはぜひ根本大臣に御理解をいただきたいと思いまして、次の質問に行かせていただきます。
○仙谷国務大臣 私自身、一病息災といいましょうか、それほど心理的な不安がないわけでない日常を送っておりますので、肝炎を今罹患しているというか患っていらっしゃる方々がどういうお気持ちで、あるいはどういう生活条件の中で苦闘しているというか生活しているかというのは、少々の想像はできます。 そこで、私どもは、裁判所から和解勧告があった。
○佐藤(剛)委員 今の、一病息災保険と我々は言っていたわけですが、それについて税制措置が必要ですからね。この問題は税制措置が一緒になって完成するわけでありますので、年末について、ぜひよろしくお願いしたいと思います。 八代大臣、小坂総括政務次官、前田政務次官、ありがとうございました。もう少し時間がありましたらお聞きしたいのですが、時間が終わりましたので、これをもちまして終わらせていただきます。
次に、簡易生命保険法の一部を改正する法律案は、近年、慢性疾患の治療を受けているものの、仕事や日常生活を支障なく送っている者が増加していることにかんがみ、このような一病息災の時代に対応し、簡易生命保険の加入者に対する保障内容の充実を図るため、被保険者が死亡したことにより支払う保険金額を死亡の原因に応じて異なる額とする簡易生命保険の制度を設けようとするものであります。
○足立政府委員 今回の一病息災というこの新しいタイプの保険ができますまでには、実は、平成七年のことでありますが、当時、郵政大臣の懇談会でありましたKampo二十一世紀ビジョン懇談会というのがございました。そこで、平成七年のことでありますが、一病息災時代に対応した軽度の疾病に罹患している人を対象とした保険というのを考えてはどうかという提言をいただいたわけであります。
○野田(聖)国務大臣 御審議いただいております一病息災の保険につきましては、例えば生活習慣病とか、急速な高齢化に伴ってそういう方たちがふえてきて、なおかつ、以前はその人たちを健康であるというふうに呼ばなかったけれども、医学が進歩し、コントロールができるようになり、なおかつみずからも自助努力をする中で、健康な人間として御活動されているというところを踏まえて、そういう新しい健康概念をつくっていかなきゃいけないということを
○野田(聖)国務大臣 一病息災の保険に関しましては、多くの皆様方から御要望があるにもかかわらず、まだ民間生保の方で十二分にそういう商品開発がなされていないということで、その補完というよりも、やはり簡保の役割というのは基礎的な生活保障サービスをするということで、そういう役割に基づいて今回こういう保険の導入の御審議をいただいているところでございます。
この法律案は、近年、慢性疾患の治療を受けているものの、仕事や日常生活を支障なく送っている者が増加していることにかんがみ、このような一病息災の時代に対応し、簡易生命保険の加入者に対する保障内容の充実を図るため、所要の改正を行おうとするものであります。 その内容は、被保険者が死亡したことにより支払う保険金額を死亡の原因に応じて異なる額とする簡易生命保険の制度を設けること等であります。
次に、簡易生命保険法の一部を改正する法律案は、近年における保険需要の動向にかんがみ、簡易生命保険の加入者に対する保障内容の充実を図るため、被保険者が死亡したことにより支払う保険金額を死亡の原因に応じて異なる額とする、いわゆる一病息災保険の制度を設けようとするものであります。
○石渡清元君 考え方はいいんですけれども、一病息災保険というのは民間の生保会社でもやっているんですね。同じような名前をつけるのは、官は民の補完ですから、その辺でどうかなと思うんですが。
今、仮に一病息災保険と申し上げましたのは、郵政省でのいろんな調査研究会などで、一病息災の時代と言われる時代にふさわしい商品を開発したらどうかということを提言いただきまして、それに基づきまして今回の商品をつくったということであります。現段階ではあくまで仮称でありますので、いずれ正式な名前等につきましても考えたいというふうに思っております。
この法律案は、近年、慢性疾患の治療を受けているものの、仕事や日常生活を支障なく送っている者が増加していることにかんがみ、このような一病息災の時代に対応し、簡易生命保険の加入者に対する保障内容の充実を図るため、所要の改正を行おうとするものであります。 その内容は、被保険者が死亡したことにより支払う保険金額を死亡の原因に応じて異なる額とする簡易生命保険の制度を設けること等であります。
そこで、平成十一年度の予算案においては、それぞれリクエストというか国民利用者の間でも喜ばれるであろうという施策を中心に展開しておりますけれども、簡易保険におきましては、仮にの名前ですけれども、一病息災保険、高齢化になっていろいろといわゆる成人病と言われるようなものに罹患されましても保険に入れるような制度を新設させていただいたり、または郵便局で将来的にはすべての行政サービスが一つの端末でできるようなワンストップ
そして個々の疾病を治すということはもちろん必要でございますが、いわば一病息災という言葉もありますように、今ある病気をひどくさせないでできるだけ自分で自分の生活ができるように持っていくという、そちらの本当の広い意味でのヘルス的な事業、福祉的な配慮というものが必要だというふうに考えておりまして、ぜひともいわゆる高齢者保健福祉推進十カ年戦略とあわせた形でこれら保健事業の充実も考えていきたいというふうに考えている
六十五歳以上で、一病息災の時代ですよ、今。六十五でぴんぴんして百メートル二十二、三秒で走る、そんな健康な人をって望んだってそれは無理です。何か神経痛やとかリューマチやとか何やというものはお持ちでしょう。
成人病は、非常に早く見つけましたときには、がんなら早期発見、心臓、血管系の病気であれば一病息災に持ち込むということは可能でございますけれども、そのチャンスを失して手おくれになった場合には、結局は治療はしますけれども、いずれは死ぬわけであります。
一つは、無病息災という考え方から一病息災というような考え方も必要でありましょうし、それから老人医療というのはリハビリであるとか介護であるとかそういう面を今後今まで以上に重要視することも必要であると思いますし、また委員先ほどいろいろ御意見ございましたように医療だけではなくて保健とか福祉、そういう分野も含めた総合的な対策というのも必要だと思っておるわけでございまして、今後そういうことを十分に念頭に置きながら
我々といたしましては、高齢者の医療につきましては総合的に見直す必要があるというふうに考えておるわけでございまして、例えば無病息災という考え方から一病息災というようなことであるとか、また、住みなれた地域また自宅で療養をしていただくために在宅ケアを重視するということであるとか、また、介護とかリハビリ、そういう問題に重点を置くというようなことなどを含めまして、この点については総合的に見直していかなければならない
そういうことを契機に、例えばお年寄りの健康観も従来のように無病息災というようなことではなしに、病気と共存するとか、一病息災というような形で、少し体に異状があっても日常生活を十分営める方は、やはり御自分自身も健康だと思って頑張っていただくというようなことで、できる限り年齢観といいますか、そういうものに合わせた健康観、その他のお年寄り像の意識を変えていくというPRを厚生省としても十分心がけていかなければならないというふうに
お医者さんの方から言えばあなたは疾病ですということになるわけで、しかし、この八割が全部疾病だという考え方をとるべきかどうかというのが、昨年来国民健康会議で非常に議論されたところでございまして、これは、その程度に問題はあるにしても、やはり一病息災ということでいくべきではないだろうかと思うのであります。一病どころか二病も三病もありましても、大自民党の幹事長をやっておられた方もあるわけであります。
幾つかあったのですが、一つは、一病息災でやっていくということをお勧めになられて、来るべき高齢化社会、どんなふうに対応するか非常に大変な問題だと思います。そして、若い人にとっては健康というのは物すごく大事だけれども、だんだん年をとっていく人に健康が第一だと言われれば、いずれだんだん健康が害されなければならないお年寄りにとっては酷なことだと思いますね。
(木下委員「そうでございます」と呼ぶ)大分というのは一村一品運動というのをやっているのですが、それを例に取り上げますと、多少血圧が高くてもカボスをつくることはできる、これが私の言う一病息災でございます。時間がないみたいなので……。
そうやって、仮に一病息災に持ち込むとかになりましても、実際には、八十五歳を過ぎても生きている人は、実は千人生まれると五人しかいないわけです。まことに少ない。これは先生方といえども、中学校のときに千人中五番以内だったという方は多分いらっしゃらぬと思うのです。それくらい難しいことなんです。だからこれは恵まれた人だけなんです。多くの人は大体七十七から八十二くらいの間にいずれは死ぬわけですね。
まあ一病息災なんてことを言っておりますね。実際は、人間はみんな特殊教育の対象と考えた方がよっぽど確かな話であって、余り自分は普通教育の方、あっちは特殊教育の方というような考え方を持っている限り、特殊教育の問題は解決しない。やはりそういう角度で普通教育の方を進める。